2017年7月18日火曜日

Lau-Lau Beach

眩しい朝、ホテルロビーまでダイビングショップのガイドが4人乗ライトトラックで迎えに来てくれた。20代半ばぐらいの日系の男性である。日本国内の日本人と比べたらあまり愛想は良くないが、外国人ガイドが日本語を喋ったらこんな感じだろうとは思った。事実、彼は日系人ではあるが、外国人で日本語を喋る外国のガイドである。

自分は一人で来たが、他に韓国人の中年の夫婦が一緒であった。計4人のダイビングツアーとなる。サイパン島のダイビングスポットについては何一つ調べていなかったし、どこに行くのかもガイドに任せていた(「任せる」という行為すら自分はしていないと記憶している)。車の中で、これからLau-Lau Beachに行きます、と、日本語と英語でガイドは紹介した。

サイパン島の日系人は、土地に対し後ろめたい気持ちをずっと抱えながら生きてきているのではないかと考えてしまう。アイデンティティになってしまっているのではなかろうか。移住支配、戦争、観光開発、サイパンは、日本に振り回され続けてきた、そして日本から遠い島である。終戦から72年が経過した今になってもなお日本が戦中に島へ持ち込んだ戦車や戦艦などの鉄屑は片付いていない。そして島中を日本人の慰霊碑だらけの悲しい島にしてしまった。車が走るこの広く平らで真っ直ぐな道も、後から知ったことだが、元は旧日本軍が朝鮮半島からの強制労働者を巻き込んで作った軍事用の飛行場だったそうだ。サイパンに到着してたった2日目の自分ですら気持ちがこのようになってしまうのだから、サイパン現地に生まれた日系人が何も思わないわけがない。メルトスルーしている核燃料が地下水脈を通って太平洋へ流れ出たら(福島は現在進行中の原子力事故であることを私たちは片時も忘れてはいけない)、この美しいサイパンの海すらも日本は破壊することになるのだろうか。考えることはたくさんあった。それは主には、日本人の自分が反省するべきことは何なのか検討する過程であった。

ダイビングショップで水着に着替え、Lau-Lau Beachに向かう。浅いダイビングポイントらしい。ブランクが長いため自分はOWに戻っているようなものだから、ビーチダイビングスポットが多いというサイパンをダイビング旅行の最初の渡航先に選んだという経緯があるのだが、その目的に全く合致したポイントである。サンゴ礁でダイビングをすること自体、自分は初めてであったから、楽しみであった。

更に南下する。サイパン島ではライトトラックが実に多い。最終日にチャモロ人のツアーガイドから聞いた話だが、ライトトラックは荷台に人が何人乗っていても違法とはならないから便利なのだという。しかし、キャビンに上限以上人が乗ると違法となるのだそうだ。

Lau-Lau Beachに到着する。藪の中の道を行き、辿り着く場所であった。浅く透明な海で、陸の明るい緑も映える、美しい景色である。トイレなどは無く、駐車場のアスファルト以外は自然の浜である。

タンク等を準備する。ガイドが簡単にLau-Lau Beachのエントリーの仕方を説明し、ウェットスーツを着て、蔓性の植物が茂る浜までの獣道をわたり、海へ出る。トケイソウのような花があったことが気になったが、タンクが重くしんどいので、トケイソウは観察せずにそのままスタスタと海へ歩いて行った。

サンゴ礁の本当に浅い海で、水深は50cmもない。浅い場所のサンゴは破壊し尽されたようである。エントリーポイントまで30mほどはあり、岸から遠い。映画インターステラーのMiller's planet到着シーンを連想した。